川口東学区は昭和57年(1982年)川口小学校区から分離して出来ました。

ここでは私たちの町、川口東の歴史を見ていきましょう。

川口の歴史は江戸時代まで遡ります。福山藩主水野勝成が元和5年(1619年)8月備後10万石の領主として福山に入封し、干拓事業による農地の拡大を行いました。川口は4代藩主勝種の時の寛文11年(1671年)に完成しました。その時に活躍したのが上席家老の上田玄蕃直次です。また同じ年に丹随法師という人が阿弥陀如来を本尊とする惣講庵を開かれ浄土真宗のお寺として開基されたと伝えられていますが、これが現在の崇興寺です。
その後川口は明治を迎え明治維新以降しばらくは川口村(江戸時代からの村)、多治米村、一番、二番、三番新涯村という風にいくつかの村に分かれていましたが、明治22年(1889年)の町村制施行で近隣の村と合併して川口村が成立し、明治31年(1898年)深安郡が成立し深安郡川口村となりました。昭和8年(1933年)川口村は福山市に編入し福山市川口町となりました。川口東学区は川口小学校区から分離して現在に至っています。

令和3年(2021年)川口東学区は創立40周年となりました。

1897年(明治30年)の川口村の地図